飯田房貴
Fusaki IIDA
青年月日: 1968年12月10日申年生まれ
血液型:O型
動物占い:お腹が空くと機嫌が悪くなるライオン
家族、生活
妻(シャーリー)、愛犬(チャーリー5歳)、長男(大河5歳)、長女(クレア)
カナダ・ウィスラーに住む、地元は江戸川区の平井
趣味
読書、料理、松茸採り、ハイキング、キャンプ、サーフィン、仕事、子供たちの面倒を見ること
好きなテレビ番組
格闘技、ヤンキース戦、 ニュース
肩書き類
DMK SNOWBOARD INC.代表取締役、当webサイト責任者、dmkスノーボード・クラブ責任者、マツモトワックス・インターナショナルマナージャー、CCC Desighn & Hazakプロテクター・アドバイザー、CASIカナダ公認スノーボード・インストラクターLEVEL 2、SnowBoader誌ハウツー担当、サムライ・ボーダー他。
ハウツー王になった歩み
1985年11月当時16歳の時、天神平にてスノーボード(注:当時スノーサーフィンと呼ばれる)を始める。
翌年、丸井スノーサーフィン大会を始め、全日本に参加。全日本でダウンヒル25位に入って、スポンサー「スノーテック」が付く。
高校卒業と同時に株式会社大日本印刷へ就職。
スノーボーダーとしての夢諦めずに88年末に退職。
89年(平成元年)野沢温泉に篭もる。
同年、ニュージーランドに行き、日本人スノーボーダーとしてNZ住み込みのパイオニアになる。
仕事は1年目レストランのキッチンヘルパー。
2年目はスノーボーダーとして初のテレビ・コマーシャル(注:アルペンのコマーシャルに真木蔵人役の滑り手)に出演。
2年間のニュージーランド修行を得て、カナダ・ウィスラーへ。
最初の年、日本料理レストランでスシ・シェフをしつつ大会に参加。
翌年にはスノーボード・ショップ「A3」で働く。
その年の大会成績(BC州スラローム4位)が認められて、株式会社ミナミのスポンサーがつく。
その後は、カナダやニュージーランド、日本を往復し、大会に参加。
主な成績は、全日本関東大会スラローム4位、ニュージーランド・ナショナル大会スラローム9位、カナダ、ウィスラーのローカル大会でスラローム優勝など。
94年には、初のハウツー・ビデオのディレクティング兼モデル、ハウツー本の執筆兼モデル(共に千早書房)を手がける。
翌年95年には日本文芸社から2本のハウツー・ビデオのディレクティング兼モデルを行う。
選手としては、カナダでプロ登録してGSで14位などの実績。この年、カナダのインストラクター免許(CASIT)も所得する。
96年SAJ全日本大会を最後に、遂に選手としてセンスがなかったことを痛感!たくさんの人に惜しまれながら(?)、選手生活を引退する。
その後はスノーボード業界へのオールランダーへの道へ歩む。
執筆力を生かして、専門誌ではハウツーのコラムを執筆。ハウツー・ビデオのディレクティング、専門誌のハウツー・コーナーのディレクティングなどして、その頃から「ハウツー天使」と呼ばれる。またそのハウツーの仕事が認められ、現在はハウツー王の異名を取る。
98年、スノーボードの永遠師匠であった親戚の兄貴の死を期に、スノーボードに人生を賭ける宣言!15年前からかじっていたカメラマンとしても本格的に始動し、スーパー・オールランダーの道へ歩み始める。
2000年8月に会社設立へ。02-03シーズンまでに滑った滑走日数は18年で推定1527日。今でも年間100日ほど雪山に行く生っ粋のスノーボーダー。
ハウツー畑の仕事
専門誌で自身モデルとなりハウツー作り、執筆。他のプロ・ライダーとのハウツー作りでは、写真撮影。その他、専門誌のハウツー・ディレクテンングや、撮影でのコーディネイト。またDVD製作のプロデューサー、ディレクターとして映像に関することまでハウツー尽くめ!
現在の職種
契約アドバイザー、撮影モデル、撮影コーディネイター、執筆、カメラマン、webマガジン編集長、スノーボード専門会社経営。
将来の夢
死ぬまでスノーボードをやる。おじいさんになってもチャレンジ魂を忘れずにスノーボードの楽しさを伝えること。
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